自分の一番の不安に目を向けてみた…
少し自分のことについて話すことにしよう。
もうかれこれ22歳になっている。
周りの友達はみんな新卒で働き始めている頃である。
ともすると、やはり周りとの差に焦りを感じ始めるのである。
私は医学部にいる。
昔であれば、医学部に入り医師になれば安泰とされてきた。
これからの時代はどうであろうか。
将来を見てみると、様々な要素が考えられ不確定すぎて何も見えない。
医学部を卒業すれば転職も容易な気がする。
ただどうしていこうか、とただ漠然と頭を悩ませているのような節を自分に感じる。
「なるようになる」
この言葉を何かわからない時にいつも咄嗟に口にしてきた。
ただこれは先が見えないことを、何も考えずに放置している現実逃避の言葉のように思える。
でも、まだなってないことは分からないので色んな情報をかき集めて、不確定な未来を少しでも確実なものにするための手段を見つける以外に方法はない。
それでもまだ起こってない未来はどうなるか分からず、なるようにしかならない。
医学部にいる学生さんたちは、何を思って医学部の勉強に励んでいるのだろうか。
きっと私のような漠然とした思いではなく、人を救いたいと思っていたり、将来超高齢化社会になることを見据えて医師という仕事を選び抜いたという人が多くいるだろう。
親の病院を引き継いでいくという使命を全うしようと医師になろうとした人もいるかもしれない。
こうみんなの医学部にいる理由を聞くと、医師が良いなと思う確固とした理由があるのではないかと想像してしまう。
それに比べてそこまでの思いがない私は大丈夫なのかと思ってしまう。
周りを見渡してみると、たまたまかは分からないがかなり上昇志向の人が多いように感じる。
医学部に入るためにも、きっと幼少期からお勉強を頑張りぬき、きっと努力ができる人であるから医師になってからも自ら研鑽を積み更なる高みを目指していくのであろう。
私と関わりを多く持ってきた人は医師より会社員が多かった。
だから少し職種は違うかもしれないが、その人たちもみんな自らのキャリア構築をどのように行っていくか、興味・適正・時代の流れなども踏まえ冷静に分析をしていた。
そのうえでキャリアアップを目指すべく、仕事以外の時間をスキルアップに充てて全力投球しているように思えた。
凄くかっこよかった。
尊敬する生き方は、そのような自分の目標に向かって誰にも見られないところで研鑽を重ねて努力して結果を出していく生き方だ。
だが、自分がそのような生き方をできるのかと問われると自信が持てない。
あれ、ここまで書いていると或ることに気づいた。
「あ、私は自信がなかったのか」
尊敬する生き方があるのなら、できるか分からなくても一旦頑張ってみればいい。
頑張ればまた見えてくる景色が変わってくるに違いない。
この前、ワクチン関連のバイトをしている際に市の職員さんと同じ執務室でお仕事をさせていただいた。
その職員さんに言われて心に残った言葉がある。
「専門性を磨きなさい。そうすれば周りから自然から仕事が寄ってくるようになる。引っ張りだこになるよ。」
「将来のことについて頭を悩ませてもどうにもならないから、今目の前にあることに集中して一日いちにち充実したものだと思える生活をした方が良いよ。達成感も生まれるから。」
将来的にどのような仕事を選択していくのか、医師国家資格というものをうまく利用していくのか私には分からない。
ただここまで来て、年齢も年齢であるし一旦は医学部を卒業する以外に道はないように思える。
今の直近の課題はやはり日々勉強をして、しっかりとテストをクリアして進級していくことだ。
仕事ともに私が努力しなければと思うことがある。
それは、外見を磨くことだ。
なぜかわからないが外見が良くないと、周りの人の視界を自分を入れてしまうことが失礼だといつに日からか思うようになった。
良い外見で居られるべく頑張る、その自分にプライドを感じているのかもしれない。
初対面でオシャレだから話しかけたいと思っていたと多くの人から言われ、オシャレをすることでこんなにも関心を持ってもらえるのだと嬉しく感じた経験もある。
オシャレをしてもっと多くの素敵な人に出会いたいなとも思う。
振り返ると、夏休みが始まって今まで、いやその前も少しだらだらと遊びすぎていた気がする。
ただ、だらだらと遊んでいただけで楽しいというより、時間が無為に削れていくようなそんな感覚を覚えていた。
やはり気を引き締め直し、かの尊敬する生き方に意識を引き戻したいなと思う。
そうすれば毎日が輝き、かけがえのない一日を取り戻せるような気がする。
新しい自分で一歩一歩また毎日進んでいきたい。